12月23日は上皇陛下の89歳のお誕生日。
確かなご年齢が分かっているこれまでの天皇の中で、
最もご長命でいらっしゃる。
心からお祝い申し上げると共に、長年にわたる
国家・国民へのご献身に尊敬と感謝の誠を捧げ、
末永いご平安を祈り上げる。この機会に、先頃、外務省が上皇陛下の
中国ご訪問などに関わる平成3年の外交文書を公開した
(12月21日)ことが報じられたこともあり
(但しご訪中自体は平成4年10月23日~28日)、
その際に示された上皇陛下の際立ったご見識を
かいつまんで紹介しよう。この時、中国は「天安門事件」への自由主義諸国の
経済制裁に苦しんでおり、その打開策の1つとして
わが国の上皇陛下のご訪中を画策していた。
当時の宮沢内閣(宮沢喜一首相、加藤紘一官房長官)は、
国内の強い反対を押し切って、それを無理やり
実現させた―という経緯がある。私も微力ながら反対運動に携わり、
産経新聞に全面広告を打ち、大がかりな反対集会を
開催するなど、様々な取り組みを進めた。
ご訪中の閣議決定がなされる当日、ガスボンベや
火炎ビンを積んだ小型トラックが首相官邸に突入を図って
炎上する事件も起きた(この件には私は一切、関知していない)。そうした中、上皇陛下が中国に出発される前の記者会見
(平成4年10月15日)で、ご訪中を推進したメディアから
次のような質問が出された(おそらく朝日新聞だったか)。「ご訪中をめぐって反対意見がありました
(が、それをどう捉えておられますか?)」この質問は、既にご訪中が決まり、
これからまさに出発される直前という条件下において、
上皇陛下がやんわりとでも、(私共が表明していた)
「反対意見」に対してネガティブなご姿勢を示されることを
期待したものだったはずだ。
ところが、上皇陛下は質問者の意図を正確に見抜かれた上で、
以下のようにお答えになった。「言論の自由は民主主義社会の原則であります。
このたびの訪問に関しては種々の意見がありますが、
政府はそのようなことを踏まえて真剣に検討した結果、
このように決定したと思います。
私の立場は政府の決定に従って、最善を尽くすことだと思います」報道機関の記者に対して、真っ向から「言論の自由」の
大切さを説かれたことは、痛烈なメッセージ性を
持っているだろう。「あなたがたは、自分たちと違う意見(反対意見)は
封殺してよい、とでもお考えですか?」と。その上で、政府の立場にも配慮され、
しかし、政府の決定の良し悪しとは別に
「(その)政府の決定に従って、最善を尽くす」
というのが“天皇”としての立場であることを、
はっきりと示された。このお答えについては、以下の3点に注目すべきだろう。
①反対意見を否定したり、排除したりされなかった。
②政府の決定を全面的に支持したり、肯定したりされなかった
(「政府は…真剣に検討した」としかおっしゃていない。
しかも、政府が“予め結論ありき”の姿勢に終始し、
実際には「真剣な検討」を怠っていた事実と突き合わせると、
もちろん上皇陛下ご自身にそのような意図はなかっただろうが、
強烈な皮肉にもなっている)。③天皇という立場でなすべきことは
「(政府の決定に従って)最善を尽くす」ことだけ
(従って、その政治的な責任は全て政府が負う)。完璧なお答えだろう。
当時、30歳代半ばだった私は痛快さを感じた。
しかし、上皇陛下の真に見事なお姿を拝することになるのは、
ここから先のことだった。(続く)【高森明勅公式サイト】
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